ロシアに支配されていたポーランドと当時のヨーロッパ情勢
ショパンやショパンが作る音楽をよく理解するには、当時のヨーロッパ情勢を知る必要があります。

18世紀(1970年代)後半、ポーランドの国力は弱まり、隣国のロシア、ドイツ、オーストリアの3国によって分割されたり、占領されたりするようになりました。
1815年、ナポレオンがヨーロッパ各地で起こした戦争を終結するために開かれたウィーン会議にて、ポーランドの領土の大半をロシアに試合されて、いわばポーランドはロシアの支配下のようになってしまいました。
ウィーン会議の取り決めでは、ポーランドの憲法と議会は尊重されるという約束でしたが、実際にはその約束は守られませんでした。
このような状態が続き、ポーランド国民はロシアからの独立に対するフラストレーションを貯めてきました。
そして、1930年7月、フランスのパリで市民たちが立ち上がり「7月革命」が起こりました。
このフランスの動きがベルギー、イタリア、ドイツなどにも拡がり、革命の波がヨーロッパ中に広がろうとしていました。
ポーランドでもロシアの支配から独立しようとする動きが徐々に出てきました。
戦争が起これば、人々は音楽や芸術には目を向ける余裕がなくなります。
そこで、ショパンの家族や周囲の人々は、音楽の才能あふれるショパンの将来を考え、国外に出るように勧めました。
このような背景があるので、その後のショパンの作曲には、祖国ポーランドを愛する思いが強く表れた曲が作られました。






